(2018年11月1日)
10月27日(土)、本学学生の保護者の方を対象に、人文社会学部長の矢羽野教授のガイドを聞きながら、藤井寺・羽曳野の歴史巡りを行うアカデミックツアーを実施しました。
(写真:人文社会学部長 矢羽野教授)
参加者の集合場所となった藤井寺駅南側バス停。
ここは藤井寺駅と四天王寺大学を結ぶバスが発着する場所からスタート!
藤井寺駅南側バス停からスタートし、まずは葛井寺(ふじいでら)に向かいます。
途中、藤井寺一番街(商店街)にある「藤井寺まちかど情報館 ゆめぷらざ」に立ち寄り、「古市古墳群ウォーキング・マップ」を頂きます。
今しがた歩いてきた藤井寺一番街(商店街)。
昔からの参道として1801年刊行の『河内名所図会』にも描かれており 、現代も地域の人々を支える商店街として発展してきました。こちらで今回、ご参加頂きました保護者の方々含め、自己紹介を行いました。
1箇所目となる葛井寺(ふじいでら)に到着。
葛井氏の氏寺という名前の由来をはじめ、 国宝に指定されている1,000本以上の手をもつ精巧繊細な平安時代の千手観音 の解説など、盛りだくさん。千手観音は毎月18日に御開帳とのことで、日を改めて参拝に来て頂きたいです。
また 藤井寺市の公式キャラクター「まなりくん」の元になった井真成(いのまなり) 。
地域の皆様には赤い服のキャラクターで認知されていますが、遣唐留学生として渡航前後をモチーフとしたイラストもご紹介。
葛井寺から次のアイセルシュラホールへ移動する道。こちらも『河内名所図会』に描かれている昔からの道。風情がありますね。
少し歩いて到着しました船形埴輪・修羅のデザインが特徴の「アイセルシュラホール」。現在は、改修工事中(2019年3月頃まで)で、特徴的な外観が隠れていました。非常に、残念です。館内には考古資料の展示などもあり、名前の由来となっている「修羅」の解説も。
そして藤井寺の公式キャラクターでもある「まなりくん」のルーツに迫ります。
「遣唐留学生 井真成(いのまなり)墓誌」のレプリカの前で、墓誌の発見から異国の地で没するまでの歴史を解説し、アイセルシュラホールを後にしました。
続いては、仲哀天皇陵(岡ミサンザイ)古墳。
古市古墳群では3番目に大きい前方後円墳で墳丘の全長245メートル。
「アイセルシュラホール」を出る前に、仲哀天皇陵古墳について“もともと古墳の上には木々が少なく、幕末から明治時代に常緑樹が植林され現在に至っている”と先生から解説。
現在は、上記写真の通り青々と茂っており常緑樹のため1年中、この景観を楽しめるそう。
藤井寺駅周辺を巡るツアーの最後は辛国神社の中を通って、藤井寺駅へ向かいました。
続いてやってきたのは、藤井寺駅から1駅東の「土師ノ里駅」。
今と昔の地図を使って比較しながらこれから巡るルートを確認。
そして駅名にもなっている 「土師(はじ)」ですが、土を扱う技師 といった意味で、この一帯は埴輪や古墳を作る技術をもった渡来系氏族の土師氏の本拠地として栄えたそうです。
そして駅の目の前にある鍋塚古墳へ。
実際に登れる古墳となっており全員で登ってみました。
向かいに見える森が、これから歩いて向かう仲姫命陵(仲津山)古墳。
仲姫命陵古墳は、考古学的には5世紀前半の築造とされ、古市古墳群でも2番目に大きく、全国でも9番目の規模。
そして仲姫命陵古墳のすぐ北側には、古墳の堤の斜面を利用した澤田八幡神社があり非常に珍しい特徴があります。
この 澤田八幡神社、近鉄南大阪線が参道を分断する形で電車が通過 します。
参拝を済ませて次の目的地へ移動する途中、澤田八幡神社の石段を見るとキレイな跡が残されていました。こちらも是非、発見していただきたいポイントです。
そして、すぐ横にある古室山古墳へ。
後円墳の標高は39 メートルと登ると見晴らしが良く、阿倍野のハルカスが遠望でき、西名阪自動車道を見下ろせる珍しいロケーションとなっています。 春にはお花見スポットとしても地元でも有名です。
そして、またスグ横には応神天皇陵古墳。
拝所へ向かっていくと、目の前に広がるのがこの景色。 壮観 です。
古市古墳群で最大の前方後円墳。全長425メートルもあり、堺市の仁徳天皇陵古墳に次ぐ規模。 墳丘に用いられた土の容積では日本一 と言われています。
矢羽野先生の説明から、応神天皇は仲哀天皇・神功皇后の皇子で、福岡県生まれ。
名は「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」。
御陵所在地の地名で、これから向かう「誉田(こんだ)」の由来になっています。
応神天皇量古墳の外濠(そとぼり)には、コスモスが満開で、地元の子どもたち・保護者の方も撮影され、アカデミックツアー参加者の皆様とも記念撮影を行いました。
応神天皇陵が大きく、少し距離がありましたが誉田八幡宮に到着。
誉田八幡宮も『河内名所図会』に絵図が載っており、昔の図と比較し、どこが残っていて、どこが変わっているのかを解説し、皆さんで参拝。
誉田八幡宮の奥にある「放生橋」。
本殿から応神天皇陵に向かうための石の反橋が架けられており、こちらも『河内名所図会』にしっかりと描かれています。9月には、応神天皇の神霊をのせた神輿が、本殿からこの橋を渡って、渡御する神事が執り行われているため、普段の人の往来には使われていないようです。
また 誉田八幡宮が建つ位置は、京都や奈良へと続く道が交わる地点 になります。
そのため人や物、お金が集まる事に加え、 南北朝時代から戦国時代まで数々の戦争の舞台 となったようです。
ここは古市駅近くにある「白鳥神社」です。
『古事記』『日本書紀』に登場するヤマトタケルノミコト、スサノヲノミコト、クシナダヒメは、聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。
伊勢で無くなったヤマトタケルノミコトの魂が 白鳥 になり、大和琴弾原を経由して 河内古市 に飛来したことが『日本書記』に記されています。
これが古市や白鳥神社の由来となっており、その後、 埴生の丘に羽を曳くがごとく飛び立った と伝えられています。四天王寺大学の本キャンパスがある 「羽曳野」 の地名はここから生まれたということです。
という綺麗な〆もあり、初の試みとなるアカデミックツアーは、無事に終了しました。
13:00に藤井寺駅を出発し、17:00に古市駅で解散となるアカデミックツアーですが、ご参加頂きました皆様が健脚だったこともあり、予定していたツアー内容を余すことなく全て巡ることができました。
万歩計をご持参された保護者の方は 「14,000歩を超えてる!」 と驚きの声が。
皆様に非常にご満足を頂き、「次回はいつ頃の開催?ご予定は?」との質問も頂戴いたしました。またの機会の際には、改めてお知らせいたしますので、多くの皆様のご参加をお待ちしております。